メリケン先輩は今日もゲームをする
スクールカーストなどというワードが生まれて久しいが、その言葉が生まれるずっと前から学校というやつが弱肉強食であったことは変わりがない。だが、時々もしくはひと時カーストみたいなものがはじめから無かったかのような日々がぽっかり訪れることがある。
中学生のおれがクラスでどの辺のカーストだったかはヤンキーのAくんの発言がシンプルに伝えてくれる。「先輩、どうしたんすか。え?菅波?先輩がこんなカスに用事ってマジすか」。
カスって、カースト的にどこなのか。
「カス」と「カースト」の語感が似ている為そこに引っ張られるが、最底辺であろう。当時の菅波は、幸か不幸か自分の「立場」に無頓着であったため、クラスのトップヤンキーしか関係を持てないようなおっかない先輩とも顔見知りになってしまう謎の能力があった。まあ、そのせいで逆にトップヤンキーの視界に入ってしまう「悪目立ち」をしてしまうことも多々あり、本人はただただ生きてるだけなのだがヤンキーたちに「腹立つ、原辰徳」というダジャレを叫びながら追いかけ回される、ということもザラだった。
クラスのトップヤンキーAくんは訝しがりながらも、席で無心に鼻くそをほじりつづける菅波のもとに来て「○○先輩が呼んでっぞ。おめー、シメられんじゃねえの、ププッ」と面白そうに吹き出した。
菅波は何がおもしれーんだアホ、というような腹立つ顔を向けてから先輩の元にだらだらと向かった。
先輩はいつものアレを手のひらで弄りながら田舎者みたいな歯並びで笑ったのでおれも負けじと田舎者みたいな歯並びで笑った。
「おう、菅波。おめー放課後ゲームいくべ。今日は負けねえ」
「うーん。暇だったら行きます。暇ですけど」
おれの生意気な発言にギランと目を光らせ、先輩はいつものアレを手にハメた。「ぜってー来いよ」。
突き出した拳にメリケンサック。
メリケンサック。
おれは人生でメリケンサックが必要だと感じたことは40年間無い。幸せな人生なのだろう。
メリケンサックは金属で出来ていて、穴に指を通し握りこんで使う。何に使うか?ひとをぶん殴るためだ。これでもかっていうぐらいパンチ力が上がる。それをいつもポケットに入れて持ち歩いてるんだから普通にやばい人なのだろう、先輩は。
だが菅波は「立場」に無頓着だったのでその種のパフォーマンスに影響を受けず、放課後学校の近くの本屋の片隅、2台しかないストリートファイターで週1ぐらいで先輩と対戦するような仲だった。
俺のチュンリーは別に強くない。先輩のダルシムが弱いだけ。
対戦ゲームでおれは高確率で先輩に勝っていた。特別やり込めていたわけでもなく、実際の喧嘩になればとんでもない必殺技を見せるであろう先輩の弱点はまさかのメリケンサックだった。
先輩はメリケンサックをつけたままゲームをしていた。
もう一度言う。
メリケンサックをつけたままゲームをしていた。
そして常に背後に意識がいっており、ゲームの画面から目を離すこともしばしば。しまいにメリケンサックで指の動きをガッチガチに制限してるんだからコンボなんて出せたもんじゃない。
おれも昔から興味のないことにはとことん興味がなかったのでメリケンサックに触れることもなく、ひたすら無意味なジャンプを繰り返すダルシムをボコボコにし、悔しがる先輩を横目に「夕飯なんで帰りまーす」と言って家路につくのがパターンだった。
そんな面白い先輩がいました、っていうシメだとお気楽でいいのだが先輩はあるときからゲームコーナーに姿を見せなくなった。なんというか、家のことがとっても大変になったからだ。
おれのことを追いかけまわすムカつく奴らも、揃って家のことで大変なことになっていった。
おれはそれが、それこそが腹立たしかった。スクールカーストの最上段から見下してるムカつく顔のままいてくれよ、頼むから。
おれはそれ以来チュンリーを使わなくなり、ゲームコーナーにも行かなくなった。
いつか、何十年越しにじじいになったダルシムをボコボコにするときまで、ばばあになったチュンリーは待ってる。