すが雑談

菅波栄純。1979年10月16日生まれ。福島県出身。 結成20年を経て活動中のバンドTHE BACK HORN所属。 ギタリスト/作詞作曲者。お仕事のご依頼はこちら eijun@ve.jvcmusic.co.jp 人生は結局喜劇だと思う。

専門学校入学の初日で現在までの人生が決まった話(ファッション編)

このバックホーン結成のエピソードはいろんなところで話してきたが、アーカイブのつもりで動画とテキストにしておこうと思う。
菅波は高校を卒業して東京にて音楽の専門学校に入った。大学には行く気が無かった。なんせ高校入学の時点で母親に「目的もないのに高校にいく意味ってある?」とめんどくさい質問をし続けた男である。音楽の専門学校には目的があったから入った。仲間をみつけるためだ、音楽をやるための。勉強は2の次であった。

初日に英語の授業があった。菅波はギター科で、そのほかの学科の人間も集まって大教室で授業が行われた。もし、ここで自分が直感的に「こいつだ」と思うひとがいなければ職業作家の道を考えていた。むしろ、そっちに気持ちはいきかけていた。

しかしボーカル科に将司がいたのだ。菅波の実家は魚の卸売りで、市場に連れて行ってもらったこともある。目利きの家系だ。ピンときた。心の中で札を上げた、「そのマグロ、おれが買う」と。当時の将司はいまのストイックな印象とは微妙に違う。パーマで髪が爆発していたし、サーファーブランドのTシャツにサンダルという服装。良い意味で専門学校に過剰な期待をしていないことがわかるいでたちだ。茨城という関東出身者の余裕ともいえる。
一方福島から出て来た菅波はシースルーの迷彩パーカーにヒョウ柄の毛がフワフワした短パンという薄手なんだか厚手なんだかわからない「チャンスよ、おれを見つけてくれ!」という気持ちがあふれたスタイル。
この日出会ったマツといえば、きれいめのパンツにローファー、白シャツ。透明なクリアファイルにドラムスティックを挟み込むという福島出身にしてはなかなかの変化球で攻めていた。
このへんの違いはなぜかというと、菅波は東京=原宿・渋谷。マツは東京=池袋。という1歳の違いながら世代差ゆえの東京観の相違という話である。
そうなると俄然地元からそのまま電車に乗ってきました、という風情の山田に軍配があがるというものだ。専門学校にいるのにギラギラ感がないところも逆に目立っていたのかもしれない。次回はいよいよ話しかけるところを語ろうと思うのでお楽しみに。

ところでバックホーンの初代ベーシスト直己のファッションはどうだったかというと、一番専門学生らしく好感のもてる感じだった。背が高くてイケメンという素材あってこそだが、白シャツにジーンズ、みたいなシンプルファッション。逆にモデルさんの私服ってそういう感じですよね、わかります、的な。ずるい。

はい、それでは次回をお楽しみに。

 

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