すが雑談

菅波栄純。1979年10月16日生まれ。福島県出身。 結成20年を経て活動中のバンドTHE BACK HORN所属。 ギタリスト/作詞作曲者。お仕事のご依頼はこちら eijun@ve.jvcmusic.co.jp 人生は結局喜劇だと思う。

床屋の息子とおでん

おでんが美味しい季節になってきた。おれは大根のやつが好きだ。コンビニでいえばセブンイレブンのやつ。大根の入ったおでん用カップにひたひたの汁を注ぎ、辛子を混ぜれば完成。小学生か中学生のころはよく食べた。おれが住んでいた福島県須賀川市にはセブンイレブンは当時一軒しかなく、コンビニの食べ物を買う自体がエモい事であり、スペシャルであった。おれが白い息をハフハフしながら大根にありつく時っていうのは小太りの床屋の息子A君がおでんを奢ってくれた時だけだった。床屋の息子はいつも羽振りがいいわけでは無いが時々自分の買い食いがてらおれにもお裾分けしてくれた。一緒の塾に通っていて、帰りの方向も同じ、床屋の息子としても物欲しげな菅波をおいて一人でおでんをハフハフするのは気が引けたのかもしれない。

事件が起こったその日。おれと床屋の息子はいつものように塾に行き、その帰り道を特に会話するでもなくふらふら歩いていた。小学生の男子っていうのはなんでだろう、まっすぐ歩けない。あっちへふらふら、こっちへふらふらと頼りなく時々自転車にチリンチリンと鳴らされながら歩くので、家に着くまでめちゃくちゃ時間がかかる。しかし、その日だけは颯爽と家路を急げばよかった。不意に立ち止まった床屋の息子の背中に勢い余ってポイ〜ンってなりながら菅波が顔を上げると、ニヤニヤした高校生のヤンキーが立っていた。

高校生のヤンキーというのは子供にしてみれば親や先生よりも明確な脅威だ。高校生同士で「あっちが勝った」「こっちが勝った」とやり合っていれば良いのに、子供に絡んでくるタイプっていうのは身体こそ大きいが精神年齢は3ちゃいだ。だからなるべく関わらず生きていくのだが、向こうから来てしまっては避けようがないし、道を塞がれたら逃げ場もない。ヤンキーはニヤニヤしながら「お金、ちょーだい」と言った。おれは「小学生にたかる高校生って、控えめに言ってカス」だと思いつつ、全力でヘラヘラしながら「すいませーん、ぼくたちお金、持ってないですうー」と媚びへつらったあどけない声を出した。ヤンキーは「あ、すごーい嘘っぽい。そっちのヘラヘラしたアホそうな方(菅波です)、ジャンプしてみそ」とヤンキー定番の台詞を繰り出した。昔の小学生っていうのは半ズボンのポケットにジャリ銭をストレートにインしてたのでジャンプするとチャリンチャリンと音がするのだ。しかしおれの心には余裕があった。なぜならガチで30円しか持ってなかったからだ。小学生の所持金をなめんなよ。と思いながら高く高くジャンプしてやった。かすかに擦れる10円玉の音はおれにしか聞こえないぐらいのショボい音だった。ヤンキーは露骨にガッカリした顔のまま俺から照準を外し「そしたらそこの太った方、飛んでみな」と言った。おれは一抹の不安を覚えた。床屋の息子は最近おでんを奢ってくれてない、ということは小遣いを溜め込んでいてポケットにパンパンの小銭が入っているのでは、、、。

結果、床屋の息子のポケットはパチンコのフィーバーよろしく小銭がジャラジャラで、ヤンキーは最高潮にテンションが上がって「それ全部貸して〜、返さないけど」とかいうしょうもないことを言いながら床屋の息子のポケットがからっきしになるまで全ての小銭を回収して揚々と去っていった。ゲーセンにでも行くのだろう。ちくしょー。

小遣いが入ったらすぐ使う、自分のスタイルの正しさに確信を持ちながらも床屋の息子に慰めの言葉をかけた。「いやー、あいつひどいな。全部持っていきやがった。大丈夫か」。俯いていた床屋の息子。顔を上げた時の表情が予想と違いすぎて面食らった。金を取ったヤンキーよりもニヤニヤしていたからだ。
「目先の金に気を取られやがって。。。雑魚が」と言いながら靴下をずり下げた床屋の息子。そこから3000円ほどの大金が現れた。「こんなこともあろうかとこっちに隠しといたんだよ、ばーか!」「おおおー!」おれも興奮して声が大きくなった。「これは、おれの勝ちだよな、勝った、勝った。よし、久しぶりにあれ、いくか」といって親指をクイクイした先にはセブンイレブン。「おおおー!!!」ここ一週間で1番テンションが上がるおれ。本当の勝利ってのは、どうやら自分たちが決めればいいらしい。おれたちはたっぷりの汁に辛子を混ぜて、腹一杯におでんを食べた、ハフハフしながら。須賀川には冬が近づいていて、白い息が湯気に溶けた。

 

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